感覚と言語

NHK-BSの『ゲゲゲの女房』の再放送を見ています。今日は、妖怪事典を作り出す内容でした。事典と言えば、三浦しをんの『舟を編む』も最近読みました。辞書を作りだそうという主人公たちの青春群像を描いた小説です。その主人公の奥さんになる女性が板前さんなのですが、そのセリフにこんなものがあります。

「……記憶とはことばなのだそうです。香りや味や音をきっかけに、古い記憶が呼び起こされることがありますが、それはすなわち、曖昧なまま眠っていたものを言語化するということです…(中略)…おいしい料理を食べたとき、いかに味を言語化して記憶しておけるか。板前にとって大事な能力とは、そういうことなのだと、……」
田崎真也の『言葉にして伝える技術~ソムリエの表現力』にも味や香りを言葉にしてデータベース化する、とも書いてあります。

ワインに限らず、現代にはたくさんのモノがあふれています。楽器でもそうです。ヤマハとバック(メーカーの名前です)のラッパって聞くだけではわかりませんもん。(でもアレキサンダーのホルンやテューバだったらわかるかな)

微妙な違いをどう感じとるのか。正直、これは難しい。感覚と言語はそもそもイコ-ル関係ではありませんから。でもできるようになったら素晴らしい。野球の名選手がバッテイングのことを「バァッといってガーンと打つ」などと言っているのを理解できないとネタにしていることがありますが、少なくとも言っている本人にはその感覚が整理できてるんですよね。だから言葉が出る。それを人に伝えるのはまた難儀な問題ではありますが。